「シンデレラガール総選挙とボイス総選挙を分けよう」と言われたら、こう答えろ

「シンデレラガール総選挙とボイス総選挙を分けよう」と言われたら、こう答えろ

2017-08-17 13:41

2017年4月29日に掲載した記事の再録編集版です。


要約すると、モバマスは、ナレーターとしてのプレイヤーが提示するナラティブを、公式ストーリーとリソースでフォローすることで、権力を支える歴史としてのナラティブに転換するコンテンツであって、総選挙はナラティブのオーソリティを支えるメディアなんだよという話をします。カタカナ圧スゴイなオイ。

手垢まみれの議論のような気がするけど、少しずつ書いていく。ちなみに僕は朗読と羊皮紙写本の相互関係で卒論を書いたけど、歴史とか文学理論とかいうモノの専門家ではない。

「ナレーターとしてのプレイヤーが提示するナラティブ」

ナラティ「ヴ」のような気もするが、深く考えてはいけない。

いきなり本題に入ってもいいのだが、先ずはナラティブについて話す。ナラティブとは「ストーリーのようなもの」である。ゲームを論じる時に便利な単語として、一時期とても流行した。

日本語での議論を見ていると「ナラティブとはランダムイベント型RPGのこと」「ストーリーとの違いは一本道ではなく個性があるところ」といった調子の説明が多い。実際、世界中においてそのような意味で使われているのかもしれないが、僕はこの記事において「ナラティブ」をその意味で使うつもりはない

つまり、この記事における「ストーリーとナラティブ」は普通でない定義かもしれない。その点をまず意識してもらいたい。

ナラティブという単語はとても取り扱いが難しいが、おそらくナレーター・ナレーションという単語に引き寄せることでいくらか分かりやすくなる。声に出して読み上げる人がナレーターであり、原稿を読み上げることがナレーションであり、原稿の内容がナラティブであると、ここでは考えてよい。

今ここに一人のナレーターがおり、二種類のナレーションを行うところだとしよう。ナレーターの手元には2つの原稿がある。この2つをよく見比べてほしい。

A「彼はホノルル生まれのジャカルタ育ちで、コロンビア大学を卒業、弁護士となり、公職にも就いた。

B「彼は弁護士、イリノイ州議員、連邦上院議員を経て、アフリカ系アメリカ人として初めて合衆国大統領となった。

これらはいずれも、同じWikipedia記事に基づく「バラク・オバマ」の紹介である。

原稿の字面が異なることは言うまでもない。ここで注目したいのは、原稿の中身が全くの別物ということである。「語尾が違う」とか「言い回しが異なる」とかいう次元を超えて、この二つは全く別の内容を紡いでいる。「Wikipediaに書かれたバラク・オバマの人生」という1つしかないストーリーに対する2つのナラティブが作り出されたのである。言うまでもないことだが、ナラティブはこれ以外にも無数に (おそらく無限に) 作り出すことができる。いずれも正しく、同じストーリーを扱う、しかし別物のナラティブである。

1つのストーリーと無数のナラティブ。この二重底が重要である。

(この一文を「1つの物語と無数の物語」などと表現しては意味が分からなくなってしまう。そこで、仕方なくカタカナにより「1つのストーリーと無数のナラティブ」と言うのである。)

モバマスのストーリー (設定) とナラティブ (担当)

ストーリーという単語を使えば、当然のこと、「各イベントのメインストーリーを繋げたものがモバマスのストーリーではないか」「それら複数・一連のストーリーを読む体験がナラティブではないか」と思う人もいるだろう。しかしむしろ、モバマス全体にとって言葉で紡がれたストーリーは存在せず、膨大な設定の集合体こそ物語世界における事実でありストーリーであると理解する方が実情に合っている。コンテンツの設定全てをオバマの記事のごとく書き連ねた文書があるならば、それがまさにモバマスのストーリーなのだ。イベントのストーリーはあくまでイベントのストーリーであって、コンテンツのストーリーではない。

設定の総体であるストーリーに対して、「この組み合わせは今後どうなるのだろう」「あのアイドルとの関係性はどうなったのだろう」「そこにはこういう何かがあるのではないか…」という想像の余地にこそモバマスPのナラティブは存在する。「公式の設定からして、これはこういうキャラクターだと思う、このアイドルこそはシンデレラと言うべきである、だから自分はこのアイドルの担当Pだ」という反応はまさにナラティブである。

どうかここで、よく思い出していただきたい。

公式は一度でも「プレイヤーは荒木比奈の担当であって、他の担当ではない」などと設定したことがあっただろうか? ヘルプのどこかに「ブルナポは特別なユニットである」と書いてあるだろうか? そんな設定はどこにも無いのである。「担当P」という概念は、モバマスにおいてプレイヤーが紡ぐナラティブの核心である。

公式コンテンツがストーリー、ユーザーのごっこ遊びがナラティブだと考えてもよいかもしれない。総選挙は徹頭徹尾、ごっこ遊びなのだ。

「公式ストーリーとリソースでフォローする」

プレイヤーが紡いだ「こうだといいなあ」とか「そうなんだろうなあ」というナラティブから、その一部を公式設定として取り込む。あるいは、声優や楽曲を割り当ててナラティブの説得力を強化する。このような措置を経て、ナラティブとストーリーの結びつきは強固になり、新しいナラティブを生み出す余地が増えていく。

これは、ナラティブそのものをイベントストーリーにするという意味ではない。「それっぽい設定がちょっと増える」くらいで十分よい。

「権力を支える歴史としてのナラティブ」

モバマスは商売である。金を稼がねばならない。

金を稼ぐ為には魅力的なコンテンツが必要である。イラストやCD、グッズも金になるだろう。だがそれらは、「担当P」というナラティブを受け入れるプレイヤーには売れるとしても、その他のプレイヤーが金を出すとは限らない。もっと広いプレイヤー層に受け入れられるナラティブが欲しいところだ。

そして、それこそ「シンデレラストーリー」である。シンデレラガール総選挙は、担当P以外のプレイヤーにも売れるシンデレラストーリーを見つけ出すために存在するのだ。

担当Pの紡いだナラティブのうち、総選挙で支持されたものが「売れそうなコンテンツ」として受け入れられ、ストーリーに追加される。そうして魅力的なナラティブはモバマスを支える素材となり、プレイヤーと運営の双方を満足させるのだ。

それは例えば、こういうことなのである。

モバマスには荒木比奈というキャラクターがいる。ゲームの稼働当初から存在するのだが、ボイスなしという初期設定もあってか、特別どうという扱いもなく、「総選挙」とかいう部族最大の祭にも長らく御呼びでない状態で過ごしてきた。

所属ユニット「ブルーナポレオン」は1つの画面に表示されることすらなかった。

比奈Pが課金しようにも、そもそもガチャに登場しなかった。

総選挙は圏外どころか蚊帳の外であった。

アニメでは同僚の春菜・千枝にボイスがついた。荒木比奈は廊下を歩いた。

「比奈Pというナラティブは金にならない」と宣告されているも同然であった。

比奈Pは無力だった。

けれども、荒木比奈というアイドルは無力ではなかった。

声なし限定の選挙というチャンスを決して手放さなかった。「アニメに一瞬映る」「デレステで初期実装される」という恵まれた環境を少しも無駄にしなかった。立ち止まることはなかった。変わらない時はなかった。

それにつれて、時間をかけてゆっくりと、荒木比奈はヒロインたり得るキャラクターになっていった。

それは、公式が意図して供給したストーリーではなく、比奈Pが自力で作り出したナラティブでもない。様々なプレイヤーが荒木比奈に触れ、好きになったり嫌いになったり、絵を描いたり妄想したりセリフを真似したりする中で、絶え間なく広がってきたのだ。言ってみれば、荒木比奈は公式が育てたわけでもなく、比奈Pが作り上げたわけでもなく、ただ自然に成長していったのだった。

荒木比奈は、初期衣装ユニット「ブルーナポレオン」を始めとするモバマスのストーリーと、「比奈の担当P」という金にならない小さなナラティブの上に立ち、しっかりと根を張り、多くのものを巻き込んで十分に大きくなった。そして今や、シンデレラガールズという世界そのもので物語を紡ぐべき時がきたのだ。

よく知られているように「シンデレラ」は二面的で残酷な話だ。努力は美徳だが報われず、魔法は奇跡だが偽りである。二つの要素が揃わなければ意味がないのだ。

舞踏会は毎週あるかもしれない。総選挙は毎年あるかもしれない。しかしシンデレラが行くべき舞踏会は唯一つであり、荒木比奈にとっても同じことである。比奈Pとして、荒木比奈のシンデレラストーリーは今もっとも魅力的であり、今日こそ総選挙で投票すべき日だと断言したい。

荒木比奈がシンデレラガールになれば、多くのプレイヤーを満足させる、素晴らしいシンデレラストーリーが公式コンテンツに加わることだろう。そうしてシンデレラガールズの世界をさらに広く、より豊かにするに違いない。他のどのアイドルよりも、荒木比奈はその準備ができている。

僕はそれを読者諸氏に見届けてほしいのである。比奈Pだからとか、比奈に声をつけたくて応援しているとかいうわけではないのだ。

「総選挙はナラティブのオーソリティを支える」

比奈Pは荒木比奈先生が大好きである。彼奴等は際限なく荒木比奈のシンデレラストーリーを激賞し、莫大な額の課金を確約することだろう。しかしそれは金にならない連中の口約束に過ぎず、なんの意味もない。そもそも、比奈Pは放置しておいても荒木比奈に課金するのだから、相手にする必要がない。

荒木比奈のシンデレラストーリーには本当に魅力があるのか。多数のプレイヤーを魅了できるのか。問題は担当P以外の反応であり、総選挙はまさにそれを検める試練の場である。

要するにマーケティングである。

だが、単なるマーケティングではない。コミュニティ全体による承認という「ごっこ遊び」の一環でもある。選挙の過程はナラティブの一部であり、総選挙で1位という事実はストーリーの一部にもなる。

このように、総選挙には様々な側面があり、決してキャラクターの人気投票ではない。例えば、みんな大好き島村卯月といえども、総選挙に際して提示されるエピソードが「ドグラ・マグラ」とか「山月記」のような内容だったら、誰も投票しようとは思わない。初期から変わらずコンテンツを支えてきた卯月の紡ぐシンデレラストーリーが魅力的であればこそ票を入れるというものだ。

ボイスの有無も同様である。声なし担当Pは「総選挙に耐えうるシンデレラストーリー」を提示するモチベーションが強くあるとはいえ、実際にやることは他と同じである。「声をつけるためにシンデレラガールにする」などというバカバカしいことを考えているわけでもなければ、公然と唱えているわけでもない。その周囲にいる人間にしても「なんの魅力も感じないけど、でもボイスないから1票入れようかな」などと考えることはない。

おわり

以上、モバマスは、ナレーターとしてのプレイヤーが提示するナラティブを、公式ストーリーとリソースでフォローすることで、権力を支える歴史としてのナラティブに転換するコンテンツであって、総選挙はナラティブのオーソリティを支えるメディアなんだよという話をしました。伝わったかな?

ここまで延々と書いてきたわけですが、それでも尚どうしても「総選挙は人気投票であるべきだ」「ボイス争奪はノイズであり邪魔だ」という考える読者がいるかもしれない。

そういう人に向けて、限界まで平たく言うならば「総選挙はとにかくエモいエピソードを出したアイドルが勝つ」のであり「人気があっても物語には勝てない」ということだ。今日のところはこの説明で勘弁してほしい。

椎茸

author 椎茸

エリンギを亡き者にするべくインターネットを駆使する、ハラタケ目キシメジ科に分類される比奈P。食用には適さない。